キリストは何を食べていたのか?聖書から読む『神に近づく食生活』

カトリック精神を広める 勧めたい本紹介・4 「聖書から読む『神に近づく食生活』キリストは何を食べていたのか?」ドン・コルバート医学博士著・越智道雄訳 ビジネス社発行、2007年8月初版

 コルバート博士は、アメリカで、「実際に3万人の患者に接してきた臨床経験とキリスト教信仰を連結させる、一種の『信仰治療』的手法を採用して人気を博してきた」人物で、博士によれば、キリストが食べた食べ物は、旧約聖書のモーセ五書の3番目のレビ記に書かれている、神がモーセを通してイスラエル人に伝えられた律法がもとになっている。その律法に従ってキリストが食べた食べ物こそ、彼に健康な体と健康な精神を生み出してくれた源であると言う。そして、この古代の食事の秘訣こそ、今日でも私たちの健康をこれまでよりもぐんと増進してくれるというのだ。

  この食べ物規定から、キリストが食べた物とは、全粒粉の穀類、自然栽培の野菜と天然の果物。肉としては、主に魚肉を食べていた。肉は特別な日にしか食べず、血抜きした清浄な肉、鶏のような家禽類の肉を食べていた。

 旧約聖書に出てくる有名な話しとしては、第17章に出てくる物語が有名である。                                  

 アブラハムが天幕の入り口に座っていたところ、3人の人が目の前に立っていた。実は人間に扮した神と二人の天使と解釈されている。アブラハムは、客人に言った。「どうぞ休んでいってください。何か食べ物を用意しますから」と。この時調理されたのは飼っていた子牛の肉である。食べ終わった後、客人の内の一人が言った。「来年のいまごろ、またここに来るが、その時には、あなたの妻サラにイサクが生まれているだろう」と予告される。その時のサラの年はなんと90歳。会話を聞いていたサラが思わず笑ってしまったため、息子の名前はイサク(ヘブライ語で「笑い」を意味する)である。後にサラは笑いを恥じ、神の予言を信じることになる。創世記22章で神から生け贄(いけにえ)として捧げよと命令される逸話の主はこのイサクである。アブラハムが生け贄としてたった一人の息子に手をかけようとした時、神から止められ、その信仰の故に、息子イサクから空の星、浜の砂のようにその子孫を増やそうと約束される。

 もう一つの話は、新約聖書ルカ15章に出てくる有名な放蕩息子のたとえ話である。広大な農園を営む父親の2人の息子の内の一人が、自分に与えられた財産を下さいといって出て行った。息子は、町で放蕩の限りを尽くして財産を使い果たし、折からの飢饉で、家畜の餌を食べるまでに落ちこぼれてしまう。その時、父親を思い出し、父に赦しを乞うといって家に帰った息子が、父親から歓待され、肥えた子牛が料理される。

 このように、肉、子牛の肉は特別な日にしか供されない。反対に、豚は不浄の肉とされ食べなかった。新約聖書マルコ第5章で、キリストが汚れた男の霊から悪霊を追い出すとき、豚に乗り移らせてくれとの悪魔の頼みをキリストが許すと、たちまち豚の大群に乗り移り、険しい崖から海に飛びこんで溺れ死んでしまう。このように、豚は不浄とされ、キリストは食べていなかった。実際、豚は、生ごみ、糞尿、腐った肉さえ食べてしまうため、体内に寄生虫を抱え込んでしまう。このため、70度以上の熱で十分加熱しないと寄生虫は死なないという。豚肉は、ハム、ベーコン、ソーセージ等に加工され、保存処理のため、亜硝酸塩、硝酸塩が使われるが、これらの物質は、体内で発がん物質に変わる。著者は加工された豚肉製品は避けるのが無難だという。

 以上のように、「キリストは何を食べていたのか」を聖書の記述から究明し、キリストが食べていた新鮮な野菜、果物、全粒粉のパン、魚肉、血抜きした肉が最も健康に良く、一週間にハンバーガー3つ、フレンチフライドポテト4杯を注文する平均的なアメリカ人に警鐘を鳴らしている。

 


投稿日

カテゴリー:

,

投稿者:

タグ:

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です